ゆかりの地(関東地方)

日光東照宮の石鳥居

日光東照宮の表参道を進むと表門の手前に堂々とした石鳥居が見えてきます。この石鳥居は高さが約9m、笠石の長さは約12m、柱の直径は1mあり、黒田長政公が元和4年(1618)に奉納したもので、その大きさに圧倒されます。また正面には後水尾天皇の宸筆で「東照大権現」と書かれた扁額が掲げられています。この石鳥居はその大きさから、京都八坂神社、鎌倉鶴岡八幡宮の石鳥居とともに日本三大石鳥居の一つに数えられ、国の重要文化財に指定されています。

石柱には金色の碑文が刻まれており、文字は今でもはっきり確認することができます。ここには「東照大権現の石鳥居の石材は領国筑前で加工し、海路はるばる当山まで運搬したものである」とのことが記されています。福岡藩黒田家の歴史書「黒田家譜」によれば、石材は志摩郡親山(現福岡県糸島市)産で、隅田川河口まで海上運搬し、利根川を栗橋まで上り古河から陸路で宇都宮を経由し日光山まで運搬し、元和3年(1617)9月17日に建立したと記録されています。石鳥居は全部で15個の花崗岩の石材で組み立てられており、福岡藩の石工の手により筑前で加工され、日光で組み立てられました。石材を外海、河川、内陸を経由してこのような長距離を人力で運搬した例はこれまでになく、建立された石鳥居はその後の大地震にも耐え、現在まで400年もの間建立当時の姿を留めており、その運搬・築造技術にも目を見張ります。工事を指揮した責任者は黒田家の重臣竹森清左衛門で、黒田二十四騎の一人竹森新右衛門の嫡男です。

日光東照宮の創建については、家康公が元和 2年(1616)4月17日、駿府で死去し、遺言により1年後の元和 3年(1617)4月17日、日光山に質素な社殿が建てられ、ここに改葬され遷座式が行われました。石鳥居の碑文の日付の元和4年(1618)4月17日は家康公の三回忌にあたり、長政公は三回忌に間に合うよう十分余裕を持って石鳥居を建立したものと考えられます。日光東照宮に現在のような豪華な社殿群が建立されたのは三代将軍家光の時代の寛永13年(1636)です。長政公は創建当時の質素な社殿に似つかわしくないほどの大きな石鳥居をなぜわざわざ寄進したのでしょうか?慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡し、徳川幕府の権威が名実ともに確立したこの時期に、改めて徳川家への忠誠を目に見える形で示す意味がありました。また、徳川幕府は慶長18年(1613)にキリスト教禁教令を全国に発布し、キリスト教徒への迫害を強めていた時期であり、キリスト教を信仰したことがあった長政公としてはキリスト教との決別を改めて示す狙いがあったものと思われます。

日光東照宮を訪問された時には、石鳥居をよくご覧いただき、その大きさ、400年の歴史とともに、黒田家の末永い安泰を願う長政公の並々ならぬ思いを感じていただきたいと思います。

石鳥居(正面)

石鳥居(正面)

石柱碑文

石柱碑文

石鳥居(背面)

石鳥居(背面)