03 信義を重んじ恩で報う

信義を重んじ、恩顧を受けた人だけでなく自分を裏切った者にも恩で報いた。

竹中半兵衛への報恩

官兵衛は荒木村重が信長に反旗を翻した時、城主小寺政職の命で単身有岡城に赴き荒木村重を説得したが、捉えられて牢に閉じ込められた。信長は官兵衛が荒木村重の説得から帰らないことから官兵衛が荒木方に寝返ったと考え、秀吉の居城長浜城に預けられていた人質の松寿丸(長男長政)の殺害を命じた。竹中半兵衛は、信頼する官兵衛に限って寝返るはずはないと考えて松寿丸を引き取り、美濃の菩提山城に密かに匿った。後に有岡城が落城し、幽閉されていた官兵衛が救い出された時、さすがの信長も官兵衛を疑い松寿丸の殺害を命じたことを後悔し、「官兵衛に合わす顔がない」と言ったが、半兵衛が官兵衛を信じて松寿丸を隠し置き無事であることを聞き大そう喜んだと伝えられている。信長配下の武将は多いが、信長を反省させる逸話を残す武将は官兵衛の他に聞いたことがない。半兵衛はその後秀吉の三木城攻めの時に亡くなったが、官兵衛、長政はその恩を忘れず、長政は半兵衛の嫡子重門の次男重次を家臣として召し抱えた。

小寺政職の裏切りと小寺家への報恩

御着城主小寺政職は官兵衛の進言を容れ一旦は信長に味方したが、荒木村重に呼応して信長に反旗を翻した。政職は官兵衛に村重説得を命じる一方で官兵衛の殺害を許す書状を村重に送り、村重は官兵衛を牢に幽閉した。有岡城落城後、御着城は秀吉に攻められ落城し、政職は毛利を頼って落ち延び備後鞆の浦で亡くなった。官兵衛は、政職は信長と自分を裏切ったとは言え、自分が今日あるのは小寺のお蔭と考え、また政職の息子氏職(うじもと)が落ちぶれて暮らすのを見て哀れに思い、秀吉の許しを得て客分として召し抱えた。

加藤又左衛門への報恩

官兵衛は荒木村重によって有岡城の牢に幽閉された時、牢番役の村重の家臣加藤又左衛門から受けた配慮に感謝し、無事に牢から出た時には息子を召し抱えることを約束した。有岡城が落城し牢から救出された時、約束通り次男一成を養子に迎え、黒田三左衛門と名乗らせた。三左衛門は黒田二十四騎の一人となり、後に江戸家老となって長政、光之を補佐した。

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